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ユングのタイプ論



ユングのタイプ論によるディスカッション 5ページ目

みよし様
36歳 女性 既婚


みよし様

頂いたメールはよく読んで、納得いたしました。

私はおそらく、主機能以外にはまず思考機能を発達させ、次いで感情機能を発達させたように思います。感覚ですが、私は子供の頃より手先が器用で、工作・手芸は好きで得意でもありました。その意味では、典型的な直感タイプではないように思います。
私の無意識に一番近いのは、どの機能ということになりそうか、お考えをお聞かせいただけますと幸いです。

鈴木めいや

以前も申しましたように、主機能とは、一年間や、一生という長い期間のうちに、どの機能が最も優位に働いているか、ということで判断すべきかと思われます。
周囲の人や有名な人を具体的に調べてみますと、手先が器用とされる典型的な直感タイプの人はそう珍しくないように思います。ですがその人は、決して生まれつきの感覚タイプではないので、その具体的な手作業を、一生の仕事に選ぶということはしないものなのです。
もし、「私は幼い頃、手先が器用でよく褒められていたから、それで食べていこう」と考えたところで、その人はおそらく3年も続かなかったりするものです。無理をしてそれを一生の仕事にするとなると、本来の直感機能を歪めることになるからです。
なので、多くの場合、典型的な直感タイプの人は、「俺は手先が器用だから、やろうと思えばこんな仕事も出来るんだけどね」と誇らしく言うことはあっても、実際にはその仕事は選ばないものです。
このことは、おそらく、以前のメールで、分かりやすく説明するために、私の説明が極端すぎたのではないかと思います。その点は謝らなければならず、申し訳ないと思っております。
また、長年の臨床経験を持つ河合隼雄先生は、「ユング心理学入門」という本の中で、このように述べています。

「日本で、ユングの考え(タイプ論)をそのまま適応できるか否かにも疑問が残る。これは、西洋において、意識の態度(自我)が非常に重視されるのに対して、東洋では、意識のみならず、心を全体として捉える態度が強く、むしろ、未分化な全体性を尊ぶ傾向が強かったので、ユングのいうような一つの心理機能の発達ということが存在しがたいと考えられるからである。」

つまり、日本人は西洋人に比べると、自我そのものの働きが弱い傾向がありますので、それだけ主機能の働きもハッキリしにくいのです。
このことは、劣等機能もハッキリしないことをも意味するはずです。
夢の中では、“意識”は“光”として喩えられる場合が多くありますが、例えば、暗闇という無意識の中にポツリと置かれた何らかの物体に、意識の光を強く当てれば、影の領域も強くハッキリと浮かび上がるようになります。
そして、その光の角度がいつも一定に保たれていて、主機能がハッキリしていれば、影になる角度もいつも同じ領域に保たれます。これが西洋人や自我意識の強い人間の心の状態です。
主機能という光の角度がハッキリしているので、その影にあたる劣等機能もハッキリと浮き出るのです。
ですが、日本人などの自我の弱い人の心の場合は、暗闇の中を、弱い光が様々な角度からボンヤリとしか照らされていないような状態にある、ということができると思います。

つまり、意識の光はボンヤリとしか照らされていないので、どこからが光の領域で、どこまでが暗闇の領域か、その境界線が漠然としていて、西洋人ほどハッキリとは分からないのです。
おそらく、このことは、みよし様のいう、「自分の主機能と劣等機能はいくら考えても分かりません」ということに多少関係があるように思われます。
ですが、基本的には、身体のメカニズムが西洋人も東洋人もみな同じであるように、心のメカニズムも全人類、みな同じように出来ているはずです。
なので、西洋人ほどハッキリとはしていなくても、その傾向(主機能や劣等機能)を考察することはできるかと思います。

みよし様

詳しいお返事ありがとうございました。
頂いたメールから、お考えを要約すると、
「日本人などの自我の弱い人の心の場合は、暗闇の中を、弱い光が様々な角度からボンヤリとしか照らされていないような状態にある」ので、私の場合も主機能と劣等機能ははっきりしないが、強いて言えば直感が主機能、感覚が劣等機能である、ということでよろしいでしょうか。
今回の質問は以下の通りです。

都市生活、あるいは西洋文化は、意識の態度(自我)を強くし、主機能と劣等機能が明らかになりやすいが、野生に近い生活、あるいは日本古来の文化は、意識の態度が未分化なものとなりやすい、ということですね、
この「未分化」ということに関して質問です。

1)  「未分化」な状態は、何の努力もなしに達成されうるものなのでしょうか。それとも、主機能と劣等機能が比較的明らかな状態を経て、苦手な部分を克服する形で成し遂げられるものなのでしょうか。

2)  人が幸せな生活を送ろうとするには、意識の態度としては、主機能と劣等機能が明らかな「分化」した状態と、「未分化」な状態と、いずれが望ましいと考えられるでしょうか。

私の半生を振り返って思うに、大学を出るまでは沢山の「苦手なもの」がありました。
しかしながら、社会人となり医師となるべく「職業訓練」される過程は、そのような苦手を少なくとも通常レベルにまで引き上げるのに役立ったかもしれません。
私は沢山怒られ、また自分自身痛い目に遭ったりしながら、自らの弱点につき徐々に学習していったように思います。
例えば、私はもともと人の顔色から体調を察したりといったことが苦手でしたが、医師ならばそういう観察力の欠如は致命的です。私は少なくとも仕事中は、患者さんの様子を注意深く観察するようになりました。

確かに、医師の中には極端な思考タイプも珍しくなく、バランスの悪い人も多く見受けられますが、そういう人は常に誰か(例えば、感情タイプの看護師)のフォローを受けてはじめて「優秀な医師」と評価されうるのだと思いますし、彼単独では「良い医師」にはなりえないと思います。どんな職業でもそうかもしれませんが、第一線で働く臨床医は4機能全てをある程度まんべんなく使いこなせなければ「良い医師」にはなれないように思います。
私が主機能と劣等機能がはっきりしないのは、後天的といいますか、本来あまり得意でないはずの臨床医という仕事に携わっていたからかもしれないという気がしています。

また、私が医師という職業に自分を適応させた代償に、自分の中で何かが磨耗し失われたかのような印象をもっているのですが、この印象につき心理学的にコメントしていただけましたらうれしいです。

鈴木めいや

頂いたメールから、お考えを要約すると、
日本人などの自我の弱い人の心の場合は、暗闇の中を、弱い光が様々な角度からボンヤリとしか照らされていないような状態にある」ので、私の場合も主機能と劣等機能ははっきりしないが、強いて言えば直感が主機能、感覚が劣等機能である、ということでよろしいでしょうか

はい。
少なくとも私は、いままでのメールのやり取りをみる限りでは、みよし様は強いて言えば直感が主機能になっている方であるように感じています。

都市生活、あるいは西洋文化は、意識の態度(自我)を強くし、主機能と劣等機能が明らかになりやすいが、野生に近い生活、あるいは日本古来の文化は、意識の態度が未分化なものとなりやすい、ということですね。

「野生に近い生活」ということと、「日本古来の文化」ということは区別して考えるべきです。
今までのメールを読み返していただければ分かっていただけるかと思いますが、みよし様の言葉でいう、「野生に近い生活」ですが、野生というより、家電製品などがまだ発達していなかった時代の生活というのは、その当時の人々は機器類に頼ることができなかったので、なんでも自分でこなして生活していかなければなりませんでした。
その結果、そのときに必要な機能を、それぞれうまく働かせる必要があり、そのため主機能が一つに偏りにくくなる、ということを言いたかったのです。このことは必ずしも、自我の弱さを意味するものではありません。

なので、日本古来の生活は、意識の態度を未分化なものにする傾向にあるとは言えるかも知れませんが、野生に近い生活が、必ずしもそうであるとは、あまり思いません。
また、故河合隼先生によりますと、日本の場合、日本古来の母性的な社会で勝ち抜くためには、自我の強さはかえって不利に働きやすかったと言います。昔の日本人は、与えられた仕事の内容に対し、自分の考えや意見を持たずに淡々とこなすタイプ、つまり、自我の弱いタイプのほうが社会適応には有利であったようで、自我の強い人は、先輩や経営者から見れば、「生意気な奴」とか、「扱いづらい奴」として、嫌われる傾向があったようです。
昔の日本は、自我が強く、はっきりと自己主張をするタイプの人はあまり認められなかった傾向にあったようです。

なので、どうしても西洋人から比べると、日本の文化は自我の弱い傾向になりやすく、このことは、西洋人に、「日本人っていうのはシャイな民族だな」という印象を与える理由でもあるでしょう。
例えば、最近、ミスユニバース世界大会に出場した日本人女性は、むこうでの生活が長いためか、明らかに西洋人並みに明瞭な自我を確立していますが、彼女は日本に帰ってくると、「生意気な奴だ」と言われることが多かったようです。

テレビでみる限りでは、彼女は明らかに自我の弱い文化である日本人の傾向と、明瞭な自我を持つ西洋人とのあいだに存在するギャップに悩まされているようでした。
このような根本的な問題は、実際に日本と西洋を行き来する人に浮き彫りにされる場合が多いようですね。

この未分化ということに関して質問です。
1) 「未分化」な状態は、何の努力もなしに達成されうるものなのでしょうか。それとも、主機能と劣等機能が比較的明らかな状態を経て、苦手な部分を克服する形で成し遂げられるものなのでしょうか。

ここで言う達成とは、何を指して達成と言っているのかよく掴めないのですが、具体的には様々なケースがありますので、一概には言えないと思います。
例えば、ある会社の組織で何かの役割を任された場合、例えば事務員なら、必要最低限の感覚機能だけ分化・発達していればそれで済み、他の思考や感情機能は、「出る杭は打たれる」というようなことになりかねず、かえって不利に働いてしまうかも知れません。ですが、何かを企画するような仕事の場合は、自我の強い人のほうが〜

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