夢判断35「教会」

  
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教会



anemone様
41歳 女性 既婚
タイトル/「教会」

【 夢の内容 】
教会で牧師さんの話を聴く夢でした。
私は自分のIDカードを探しに来たのでした。
それが教会の前の方の席のどこかに置いてあるのを知っているのですが、説教中であったため、とりあえず終わるのを待ってから牧師さんにきいてみようと思いつつ、教会の後ろの方に座って聴いていました。
内容はよく覚えていません。
牧師さんはやや長髪・顎鬚のある中年男性でした。
教会の中には他の人々もいましたがはっきり覚えていません。
教会に至るまでに、川のそばの道を遡る方向に通り、橋を左から右への方向に渡ったような記憶があります。



anemone様

この教会の夢では、川の左岸から右岸に渡って(車に乗っていた気がします)、それから徒歩で教会の中に入っていきました。
川の左岸から眺めたところでは、川は上流に近い中流で川幅はさほど広くなく、右岸は緑の中に建物が点在している感じで、教会は川のそばにあり木々の合間にその屋根が見えたのでした。

曇天に緑の濡れた感じが雨上がりのような雰囲気でした。
水の化物の夢では、川の左岸にいましたので、その意味では2つの夢はつながっているのかもと思いついたのですが、どうでしょうか。

鈴木めいや

アメリカ人で(だれの言葉だったかは思い出せず申し訳ないのですが)、こんなことを言った人がいます。
「人生とは川の流れのようなもの、毎日、同じように流れているように見えるけど、実は、今日は昨日とは別の水が流れている」
水とは形のないものであり、それは冷えれば硬い氷となり、熱くなれば蒸発してなくなります。わたし達の感情にも形はなく、冷たく意固地になることもあれば、熱くなって発散することもあります。
そのことから夢の中の川は、一般的に、「人生の情緒的な流れ」のようなものを象徴していると思われます。

そして、わたしも、anemone様と同じ考えですが、この夢には同じモチーフによる関連性があるように思います。

その川は、上流に近い中流なので、まだまだ川の流れ(人生の流れ)はこれからも長く続くのであり、川幅は広くないので、どこかこじんまりとしていて全体の把握が容易です。
雨上がりのようなので、そのときの大地は潤っており、新しい植物(生命)に潤いがあります。
また、右岸は緑の中に建物が点在している感じであり、川という境界線の向こうには、こちら側とは違う世界が広がっています。

(おそらく自動車で)川の右岸に渡ったという夢の描写は、女性的で精神的なイメージ(左)から、男性的で現実的なイメージ(右)に渡った、というニュアンスがあるのかも知れませんね。

この「教会の夢」の解釈の、基本的な考えは、無料ワンポイント掲示板での解釈にある通りですが、もう少し詳しい解釈を試みるために、少し質問させて頂いても宜しいでしょうか?

質問1)
夢の中の「IDカードを探す」という描写は、自分の役割りとしての立場や、ご本人が持っているそもそもの個性などを探している、というニュアンスがあるように思えます。
このことは、ご本人の言葉にあります、

「意識上はかなり仕事へのモチベーションが下がっていてそれはそれでまずい、どうしたものかと思案しているところ」

ということにヒントがあるような気が致します。
象徴的な意味で、IDカードを手にする必要があるような心境、つまり、自分の本来の立場や、本来の性格・個性をはっきりさせる必要があるような心境にある、という感じは、日常において、感じられますでしょうか?

anemone様

時々感じます。
思いつくこととしましては、質問2と関連しますが、子供がキリスト教系の学校に通っています。そこでは保護者は構内に入るときにはIDカードをつけることになっています。保護者として学校の先生や他の親に会ったりするときは、職業人としての自分は封印し、一介の母親として振る舞っているつもりなのですが、そうすると途端に喋ることがなくなったりして、何だか自分自身を頼りなく感じることがあります。

鈴木めいや

質問2)
現実の生活において、教会や牧師さんは、身近な存在と言えますでしょうか?
それとも、私生活では、教会や牧師さんとはあまり縁がありませんでしょうか?
また、漠然とした印象でも具体的な思い出でも結構ですが、
1.教会、2.牧師さん、3.IDカードなどを思い浮かべたとき、どのような連想(印象)が働きますでしょうか?

anemone様

私はキリスト教信者ではありませんが、中学高校はキリスト教の学校で、また子供も同じ系列校に通っています。
学校の中にチャペルがありますし、先生の中にも何人か牧師さんがおられました。そのような意味で、比較的身近な存在と言えると思います。

教会、牧師さん、IDカードと思い浮かべると、子供の学校がまず連想されます。
また、夢の中の教会は、学校の中にあるチャペルとはあまり似ていませんでした。
昭和の雰囲気を残すちょっと古そうな、こじんまりとした集会所のような教会でした。

一つ後で思い出したことがあります。私は夢の中でその教会に来たのは少なくとも2回目と感じていました。
前に来た時にIDカードを忘れたわけです。
私は説教を聞きに来たのではなく、カードを見つけてさっさと後にするつもりだったのですが、たまたま説教中だったので聞くことにしたのでした。

以上です。どうかよろしくお願いいたします。

鈴木めいや

ご回答を頂きまして、ありがとうございました。

【 夢判断 】
「個性化に向かうための、立場の喪失と探求」をあらわした夢

今回の「教会の夢」に登場する、自分のIDカードというイメージは、おそらく、「自分とはそもそも何か?」というご本人のあるべき立場や、個性の根源のような意味合いがあると解釈させて頂いておりますが、「ER緊急救命室」という海外ドラマでは、サムという看護師が、幼馴染にこのようなセリフを言うシーンがあります。

「あんたは本来持っている性格が、年齢と共に姿をあらわしてきただけ。あんたはもともと、そういう人間だったのよ」

このセリフを書いた作家は、おそらくユング博士が個性化について研究しているときに見ていた何らか側面と同じものが見えているのだと思われます。

もちろん、わたし達の性格の形成には後天的な要素(つまり、家庭環境や教育、本人の努力や意思など)も大きく関係してはいますが、ユング派の個性化のプロセスは、それよりも、「本来の自分になること」という意味合いが強くあり、個性化には、その人が持っている本来の傾向(つまり先天的な要素)が重視されています。

あなたは教会、牧師さん、IDカードと思い浮かべると、子供の学校がまず連想されるとのことです。
そして、今回の夢に出てくる教会という心像は、「昭和の雰囲気を残すちょっと古そうな、こじんまりとした集会所のような教会」だと言います。
それらの連想は、どれも自分のルーツである昔や過去に関係していると思われ、この夢は、無意識が本来の自分の個性や立場を見据えさせようとしたときに、生じてきたのではないかと考えることができます。

そして、本来の自分を確認するためのそのIDカードは、基本的にはいつも所持している(つまり、基本的には自分はどのような個性を持ち、どのような立場にあるかは分かっている)のですが、その時はそれを見失っているかのような状況に陥ります。
その時、もしも夢の中で、「一体あなたは誰なのでしょうか?あなたは今、どのような立場にあるのですか?」などと聞かれれば、「それは、この牧師さんの説教が終って、IDカードを見つけるまでは私にも分かりません」と答えるのかも知れません。

夢の中で、IDカードを失っているという状況は、ご本人の言葉で言う、

「保護者として学校の先生や他の親に会ったりするときは、職業人としての自分は封印し、一介の母親として振る舞っているつもりなのですが、そうすると途端に喋ることがなくなったりして、何だか自分自身を頼りなく感じることがあります。」

という一面にあたるのかも知れませんね。

と言いますのは、あなたは、

「私はキリスト教信者ではありませんが、中学高校はキリスト教の学校で、また子供も同じ系列校に通っています。学校の中にチャペルがありますし、先生の中にも何人か牧師さんがおられました。そのような意味で、比較的身近な存在と言えると思います。」

と仰っておりますので、この夢は、(心の深い元型的な側面も多少関係していますが)どちらかと言うと、心の浅い層の色合いが強く、より意識に近い側面がモチーフとなっており、このような個人的無意識から成り立っている夢は、現実での私生活での心境と関わりが深いものと考えられます。
このことから、夢の中のIDカードの紛失は、「自分を頼りなく感じる」という心境から来ていてもまったく不思議ではないと言えます。

そして、今回の「教会の夢」と、前回の「水の化物の夢」の2つに共通する点は、どちらも問題提示だけの場面だけに留まっており、その結果、どうなるのか?という場面に至る前に夢は終わっているということです。

今回の夢では、そのIDカードを再び自分の手に戻すことが出来たかどうかまでは、この夢は語っておらず、そのIDカードがある場所は知っているので、牧師さんに聞けばおそらく帰ってくるだろう、という状況に留まっています。

それまでは、この古びた教会で牧師さんの説教を聴かなければなりません。

一般的に、夢の中の教会や神社などは、神の秩序や良心や救済などのイメージと関わる場合があり、薄暗い教会は、母性や偉大な何かに守られているような状況や、母親の胎内のイメージと関わっている可能性もあります。
あなたは現実に、教会とは馴染みがありますので、そこは既に開拓済みの心の側面をあらわしており、それはとても精神性の高い、神秘的で直感的な働きとも関わる領域と思われます。

そのような教会で説教をしている牧師さんは、やや長髪・顎鬚のある中年男性とのことです。
繰り返しとなりますが、フォン・フランツ博士は、「メルヘンと女性心理」という本の中で、
「髪の毛はしばしば本能的な無意識の思考と空想を、髯は様々な災いを引き起こしうるロゴスの、制御できない無意識の流れを意味する」
と書いています。

この牧師さんの説教には、迷っている人や苦しむ人を救済へ導くような肯定的な面もあるのと同時に、少しの災いとなってしまうようなロゴスの流れをも持っているのかも知れません。
「ロゴスの災い」の典型として分かりやすく説明するために、とても極端な例を挙げてしまうのであれば、ユダヤ人を迫害に追い込んだ、ヒトラーの演説を挙げることができるのかも知れません。

この牧師さんには、そこまで強力な否定面は無いにしても、どうやら再びIDカードを取り戻し、自分自身を見つめなおして、本格的に個性化のプロセスに入るまでには、その牧師さんで象徴している、肯定面と否定面を併せ持つ偉大なアニムスと対峙する必要がある、とこの夢は語っているのかも知れませんね。

また、前回の水の化物の夢と合わせて解釈させて頂きますと、
1)
内側にある危険な生命活動を、川(人生の情緒的な流れの中の、無意識の側面)に戻そうと試みた後、

2)
その川の橋を右側に渡り(より男性的で現実的な領域に渡り)、IDカード(自分自身)を取り戻しにやって来た。

という一連のモチーフを汲み取ることができます。
もしかしたら、無意識下では、魚で象徴している生き生きとした生命活動を自然に戻そうとしなければ、IDカード(自分の立場や個性)を取り戻そうという気持ちには、至ってはなかったのかも知れませんね。

最後に、今回の教会の夢を一言で解釈させて頂きますと、「個性化に向かうための、立場の喪失と探求」をあらわした夢であると考えることができます。

いかが思われますでしょうか?

anemone様

夢判断大変ありがとうございます。
いずれの夢も、問題提起に終わっているとのこと、確かに、と納得しております。
次の夢が解決の糸口を示してくれるものなのかどうか心もとない気がしますが、次の夢判断を楽しみにしております。
どうかよろしくお願いいたします。

2013/08/14 〜 2013/08/16

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