夢判断16「洋館内を探検」p2

  
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洋館内を探検



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anemone様
35歳 女性 既婚 研究職

タイトル/「洋館内を探検」

このことは、普段は「こんなものは」と見放した側面、基本的に自分ではないと感じているような受け入れがたいイヤな要素、意識の光から排除し、無意識下でとなっているなんらかの要素の助けなしには、個性化の道を進むことはできない、と夢は語っているかのようです。

そして、そんな影の側面が持っていた地図には、中庭をはさんで左右対称の建物が書かれており、中には小部屋がたくさんあります。
この構図は、わたし達の普遍的な精神の構図、つまり、男性性と女性性であったり、優越機能(意識)と劣等機能(無意識)であったり、善と悪であったり、ペルソナとゼーレであったりといった、相補的な心の基本的二面性という構造が、そのように描かれたものではないかと感じられます。

そして、その中庭は、左右の建物にいる人々(心の要素)が自由に行き交うことのできる場所であり、正反対に位置する違った要素が交じり合うことができる場所、ということから、それはセルフ元型を象徴しているものと考えられます。セルフとは、心の全体の象徴であり、中心の象徴でもあります。

そして、その中庭に面した部屋には1−4までの番号がありますが、4までしかない、それ以上の数字の部屋は無い、というこのイメージは、基本的に4構造となっているという人類の普遍的な心の構造との関係性を匂わせるものですね。
番号の無い部屋は、1〜4のどこに位置するのか、いまだ未知の何らかの領域をあらわしているのでしょう。

そして、あなたは1人で(つまり、不真面目で楽しむ能力を持つ影の側面からは離れて)、中庭を出て、反対側の建物に入ります。
おそらくこの建物は、いつものあなたらしさとは無縁の領域をあらわしていて、おそらくそれは、無意識性、劣等性、新たな創造性や可能性などと関係のある、いつものあなたらしさとは反対側の何らかの像ではないかと思われます。

するとそこには、3メートルくらいのゴジラがいます。このゴジラは、映画の中では街を破壊して歩く恐ろしい怪獣です。
なので、夢の中のゴジラは、基本的に、自我にとって否定的な作用をもたらす酷く原始的で劣った情動が表現されたものです。つまり、映画の中に現れるゴジラのように、心を破壊するような否定的なエネルギーを持つはずです。

それは、現実の生活において、例えば、仕事の都合上、少し治安の悪いとされる国に出かける用事があるとします。するとその国の地下鉄で、汚い格好の、いかにも麻薬の売人らしき人物が隣に座ったとします。そのようなとき、ほとんどの日本人は、少し否定的な情動を感じずにはいられないに違いありません。どこか居心地が悪く、その場から離れたくなるものです。

あなたの場合、具体的にはどんなときに、そのような情動を感じるかは分かりませんが、それが夢の中のゴジラではないかと思われます。
ですが、あなたは冷静な態度を持って、知的に内的な情動(ゴジラ)を処理することができる方なのだろうと思います。それも、基本的には否定的であるはずのその情動を、どこか楽しんでいるかのような印象さえあります。
そして、夢の中の子どもは、基本的に、ご本人が育てるべき何らかの可能性や、創造性をあらわす場合が多いので、ここにいる子どももそれと同じような象徴的意味を持っていると仮定すると、夢の中で、ゴジラを囲んでいる子どもが楽しそうにしているのは、あなたが持っている幼い何らかの可能性は、原始的な情動(ゴジラ)と関係を持ったときに活性化する傾向にある、ということかも知れませんね。

そして、夢の中の液体窒素は、極端に冷たいものということから、クールで、客観的な思考機能のエネルギーの象徴的表現でしょう。そしてあなたは、いつでもその道具によって、そのゴジラをやっつけることができるという条件にいます。

この夢の描写は、「わたしは自分の中にいるゴジラのように劣った情動など、いつでも楽しみながら液体窒素というクールな判断(思考機能)で、凍らせることができるんだぞ」という比喩表現であると言うこともできるでしょう。
内省力の弱い人は、しばしば自分の中にある内的情動の奴隷のようになりがちですが、あなたの場合、このゴジラで表現されている情動に対して大きな危険はなさそうですね。

そして、次に覚えている場面では、何かを探しているようで大学の理学部ににた建物に入ります。これはそのままですが、理学部のような心の領域をあらわしていて、午後の遅い雰囲気ということは、これからは世界が夜の闇に包まれるということであり、いまから、全てがボンヤリとした無意識が接近してくるという状況にあるようです。
ですが、そんな状態に逆らうかのように、意識の光、つまり、その建物に日の光が差し込んでいます。

次に覚えている場面では、心の中心であり、全体の象徴でもある円形の大きな西洋風花壇のまわりを反時計回りに歩いています。
公園は、町の多くの人が思い思いに集まったり交流したりするための場所であり、そんな町の全体であり、中心でもある公園の中には、円形の西洋風花壇があります。
これはあきらかにマンダラのイメージであり、まさにセルフ元型を象徴しています。
そこを反時計回り、つまり、左、左に歩いています。ご存知かとは思いますが、左は精神的な方向です。そして、夕暮れという無意識が接近している感じがするので、このことは、自我が心の全体性を促すために(つまり、個性化の為に)内的な、より無意識的で精神的な方向にむかっている、という描写をあらわしているのでしょう。
そして、その時の盛装した人々は、やはり、以前のペルソナ(社会的な対人関係のなかでみせる表向きの顔)と同じ意味を持っていると思われます。

ですが、今回は、自分が盛装しているわけではないので、自分自身のペルソナというよりは、“それを身に付けて多くの人々と関わることが出来る条件を持っている”、ということをあらわしているに過ぎないのでしょう。
個性化の過程には、自分自身と向き合うことと、また、社会的な人々との交流を持つことの、そのどちらも大切ではありますが、あなたはそのことを選ばず、ゼーレ、つまり内的な対応を選んだようです。いいえ選んだというより、このときは、内的な世界に向かうほうのエネルギーのほうが強かったと考えるべきかもしれませんね。

そして道路の左に歩いていき、さらに精神的な方向にむかい、子供の頃に住んでいた家に戻ります。夢の中の昔の家は、心そのものの(自分自身のイメージの)心象風景をあらわし、そこはおそらく、最も安心の出来る場所であり、そして最も落ち着いて自分らしくいられる場所でもあるのでしょう。
また、心の成長、個性化の過程に終わりというものなど無いとでも語っているかのように、友人複数が迎えに来て、その家から再び離れていこうとします。

この夢は、一言で解釈すると、
「心の普遍的な二面性(左右対称の建物やペルソナとゼーレ)の中にあらわれたマンダラの夢」ということができ、個性化の過程に関係しています。
これは、一連の依頼の最後の夢にふさわしい、ご本人の、建設的な心の描写があらわれている夢であるように感じました。

このように解釈させていただきましたが、いかがでしょうか?

amemone様

鈴木めいや様

夢解釈ありがとうございました。
マンダラの夢であったとはたいへん驚きです。
ゴジラが具体的に何の象徴だったのかはよくわからないのですが、この夢は全体に遊び半分の気分があり、それは私の夢探究が半分くらいは好奇心から出ていることと関係があるのかもしれません。
あとの半分は、私は自分の内面の「立て直し」をする必要を感じている、ということなのですが。
この目的は、夢を記述し解釈していただくことを通じて、徐々に達成されつつあるような実感があり、感謝申し上げております。

2008年10月30日

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